誰やらがかたちに似たり今朝の春
大学院時代に所属していた建築意匠の研究室でたびたび顔を合わせていた「妙ちゃん」という友人がいます。当時の彼女は文学部からの転籍を予定した聴講生。私はというと研究室外の活動に精を出していて研究室にいる時間も短かったし、また彼女はその後フランスに留学をしたりして、当時もその後も深い交流には至りませんでした。
でも、彼女の醸し出す雰囲気や、選ぶ言葉、ピュアな存在感にはずっと惹かれるものがあったので、今年6月、12年ぶりに再会を果たせた時にはとても嬉しかった。色々な話をしました。時間が足らずに話すに至らなかったことも含めて、12年分の、いいことも、わるいことも、すべて、なんとなく共有できたような気がしたのです。
そんな流れの中で彼女が誘ってくれたワークショップ形式のイベント「ことばのけんちく」。タイトルだけでわくわくするでしょう?内容も分からずに向かいました。それは、彼女との対話を通じて、自分の古い記憶の中にある風景を取り出し、その風景に佇む自分と今の自分をつなぐ「ことば」を立ち上がらせていく作業。あっという間の2時間半が過ぎました。
突然ですが、私はおそらく相当なファザコンです。この際ですので堂々と胸を張って自称します。と、急なカミングアウトの理由は、この日の妙ちゃんとの会話はほぼ、父との思い出話に終始したからです。
そんな話に始まり、父とのことをあれやこれやと妙ちゃんに話しました。後日、彼女から送られてきた「ことば」が、本記事タイトルの芭蕉の一句。
〈 誰やらが かたちに似たり 今朝の春 〉
▽解説(こちらを参照させていただきました)
嵐雪に貰った小袖をそっと着てみた。すると普段の自分のようではなくどこかの誰かに似ている自分を発見した。晴れがましい気分と気恥ずかしい気分とが交じり合った複雑な嬉しさがある。
おぉ、ちゃんと「着物」も私の名前の一部「春」も入ってる!凄い!(ちなみにその時は話さなかったけど、漢字は違えど「はる」の音は父からもらいました)
そして、あの時は父の話ばかりをしたけれど。先日の帰省(諸々のリセットのため2週間ほど広島の実家へ)の際は、食事の準備や洗濯などの家事、夜のウォーキングや美術館など、多くの時間を母と過ごしました。そこで感じたことは、母のDNAも間違いなく受け継いでいるなぁ、と言うこと。母の中にたくさんの私を、私の中にたくさんの母を見つけました。明るく元気で働き者。で、図太い(笑)。その欠片ほどでも受け継がれているならば。
「この人の娘なら、私、大丈夫だわ」
そう思わされる健やかさがそこにありました。そして、今一度、この芭蕉の句が思い起こされたのでした。
父と母から受け継いだ、私だけの着物。
大切に、します。
以下、関連して思い起こされた和歌や絵図について少しメモ程度に。
◉誰が袖図
桃山時代から江戸時代にかけて流行した、衣桁や屏風にたくさんの美しい衣裳を掛け並べた様子を屏風などに描いたもの。美しい衣裳の色形はもちろん、薫きしめられた香りや、着る人の面影にまで想いを馳せることができる、多層的な趣向が備わっています。2014年に根津美術館にて所蔵品の企画展示がありました。
△誰が袖図屏風(17世紀 根津美術館蔵)
△誰が袖美人図屏風(17世紀 根津美術館蔵)
◉色よりも 香こそあはれと思ほゆれ 誰が袖ふれし宿の梅ぞも
花はその姿形の美しさよりも香りこそが趣き深く思われる。我が家の梅に漂うこの良い香りは、いったい誰の袖が触れた移り香か…(古今和歌集・巻第一「春哥上」三三 / 詠み人知らず)
今ここにはいないあの人へ、残された僅かな手がかりをたぐりつつ、想いを馳せる。その切なさと色っぽさに惹かれる一首です。上述の「誰が袖図」の呼称は本歌に由来しますが、袖の形をした袋に香料を詰めた匂い袋もまた「誰が袖」と呼ばれ、着物の袖などに忍ばせて香りを愉しむ情趣深い人も。私は未経験なので、機会あらば試してみたいと思っています。(収納時に取り出し忘れ、シミの原因になったという悲しい話も聞くので、風流を気取る際には要注意!)
そして、他にもたくさんあるんですね、梅と袖の組み合わせの歌(古今和歌集・巻第一「春哥上」より)。
三二、 折りつれば 袖こそにほへ 梅花 ありとやこゝに うぐひすのなく
四三、 春ごとに ながるゝ河を 花とみて をられぬ水に 袖やぬれなん
四六、 むめがかを 袖にうつして とゞめてば 春はすぐとも かたみならまし
四七、 ちるとみて あるべき物を 梅花 うたてにほいの 袖にとまれる
次の梅の季節にはまた、どのような気持ちでこの歌を思い出すのか。
日本にはめぐる季節の楽しみ方が様々にあり、幸せに思います。
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