広島幟町教会と、心に蒔かれた種。

広島幟町(のぼりちょう)カトリック教会、通称・幟町教会へは、JR広島駅から徒歩10分ほどで辿り着きます。広島市内の中高一貫・カトリックの女子校で育った私にとって、そこは当時、年1回のクリスマスのミサを過ごす場所でした。大学で建築学科に進んでからは、1967年に文化勲章も受賞した建築家・村野藤吾の代表作の一つとして、広島市民としてより一層誇らしい思いでその存在を感じています。


私はこれまで慣習的に幟町教会と呼んでいましたが、広く一般には「世界平和記念聖堂」の名が有名なようです。というより、1882年(明治15年)から原爆で焼失するまで幟町にあった古い日本様式の教会堂が広島の人たちから「幟町教会」と呼ばれていたのですね。そして、その地で被爆した当時のドイツ人主任司祭フーゴ・マキビ・エノミヤ=ラッサール(Hugo Makibi Enomiya-Lassalle, 1898 - 1990)が戦後、原爆犠牲者を弔うだけでなく、全世界の友情と世界平和を目指した祈りの場とするため、全世界に呼びかけ再建されたのが、この「世界平和記念聖堂」なのでした。


ちなみに2006年、世界平和記念聖堂(1953年)は、丹下健三の広島平和記念資料館(1955年)とともに、戦後建築としては初めて重要文化財(建造物)に指定されています。



資金難から、途中、村野は設計料を辞退し、また建設を請け負った清水建設の当時の社長に「利益は度外視で良い、携わることに意義がある」と言わしめた、土地以外のすべてが持ち寄りで作られた教会。平和を願う心のもとに、国、宗教、イデオロギー、あらゆる垣根を越えて集まった、人々の善意と手作業の結晶です。


壁の煉瓦は、コンクリートと広島の川砂を混ぜて、すべて現場で天日干しされたもの。ウィーンから贈られたステンドガラスはそのデザインも市民に広く募集をされたそう。イギリス軍の空爆を受け自らも傷ついたケルン市からは新品のオルガンが贈られ、塔の鐘はナチス軍のための兵器を作っていた会社から寄付されました。その贈呈式は2万人の市民が参列する国民的行事となったそうで、そこでの挨拶「戦争を動かした鋼鉄が今は人々を平和へ導きます」に象徴されるとおり、自分は何のために仕事をするのか、生きるのか。幸せへの答えは、誰でもみんな共通なのでしょう。



当時、仏教界からもたくさんの寄付を得たそうで、ステンドガラスのはまる窓は松竹梅、天吊りの金物照明は蓮の花を象っています。敷地入口には門鳥居、建物手前には堀に掛かる太鼓橋、ピロティ部分には欄間彫刻と格天井と、日本人の宗教心に寄り添う意匠が村野の手で取り入れられました(広島は安芸門徒と呼ばれる浄土真宗の信仰心が強い土地でもあります)。


正面の「再臨のキリスト像」は1962年、当時の西ドイツ・アデナウアー首相から贈られたモザイク画。宇宙の輪、栄光の光、キリストの血による愛、が表現されているそうです。アフリカから孔雀石、ノルウェーから大理石、本祭壇はベルギーから。世界中から集められた石でできています。



教会の再建に尽力されたラッサール神父は1948年に日本に帰化しており、愛宮真備(えのみや まきび)という日本名は、奈良時代の学者・公卿である吉備真備から名付けられたそうです。戦争から立ち上がる日本の青少年たちに、このような人を目指して欲しい、という思いを込めて。


教会をボランティアガイドして下さった桂さんは、「宣教師とは外から(上から)優れた教えを下賜される存在のように思っていたが、このことを知った時、日本人あなたたち自身の中に素晴らしいものがある、と言われたようで嬉しかった」と仰っていました。そのことと一緒に、彼女は子どもたちにこうも伝えるそうです。


「一人ひとりが心に平安を保てば、世界の平和は必ず実現します」

「生まれた時から、あなたの中には平和の種が蒔かれているのです」



卑近な例ですが、生活や教育を通じて両親がこれまで私に与えてきてくれたものを「種」と呼び、その種を大切に育てるように促してくれた友人がいます。広く散漫な興味、長く定まらない道、流転早く厳しい現代社会を生き抜く知恵と逞しさに欠ける私。自己否定に自己否定を重ね、それ故に、他者からの否定的感情を必要以上に自己増幅して受け取ってしまい、疲れ果てていました。


その友人は「ご両親から心の中にたくさんの種を植えてもらった。それを無視されたみたいで寂しかったんだね」と。その時、溢れる涙と一緒に気づきました。人から無視された、というよりも、何より自分自身で否定してしまっていたのです。そんな種、何の役にも立たない、って。もっと役に立つ種を植えて欲しかった、って。一方で、尊敬する両親に対してそんなことを考えてしまう自分のことも嫌悪して。


種は、私たち自身の中に蒔かれているんですね。世界平和の種も、心に平安を保つための種も、つまるところは一緒です。自分が自分であることを、何よりも誰よりも、自分自身が大切にすること。その先でしか、きっと何のことも誰のことも、本当の意味で大切になんてできないんです。1年半くらい前かな、35歳の誕生日にFacebookに自分の気づきとしてそんなことを書いたような気がしますが、めぐり巡って、やっぱりまた同じ結論に辿り着きました。理論と実践、なかなか一筋縄ではいかないということです。でも、件の友人と教会のガイドさんがくれた「心に蒔かれた種」という言葉は、それこそ私の心の奥底に強く根をはり、もう二度とその存在は忘れられることはないと思います。大切に、その芽を育てていきたいと思います。晴れの日も、雨の日も、それを糧にして。


stay myself. 


△広島で建築を学ぶシンガポールからの留学生と中国語を話す日本人の方と一緒になりました。右がボランティアガイドの桂さん。電話予約できるそうなので、立ち寄られる方は是非、ご予約をお勧めいたします。深い知識に感服です(公式HPはこちら)。


2016年11月より約3年をかけて、当初建設を請け負った清水建設による耐震工事が行われるそう。足場などで通常時と比べて見づらくはなりますが見学は可能だそうです。


△友人に宛てた、感謝の手紙。

yuwau

「ゆわう」は、「結わう」そして「祝う」にも通じる音。 人と物、人と場所、人と人。 人生を美しく彩る豊かな出会いや節目の時に祝福を贈ります。

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